
私は文化、宗教などの相違点よりも
各々の共通点を探しているのです。
共通点を通してしか
お互いに近づくことは出来ないのです。
『哲学の庭』於 益子
ワグナー・ナンドール
ご挨拶
2021 年は、新型コロナ変異株により繰り返し感染の波が押し寄せて、春・秋の展示会もかなりの感染防止策を講じての開催となりました。 そして、 当財団にとって最も特筆すべきは、10 月29 日午前9 時57 分の和久奈ちよの逝去でした。 コロナ禍の中、 二日後に東京でごく内輪で葬儀、 12 月には宇都宮市内で「 財団葬」 を執り行い、 パラノビチ・ノルバート駐日ハンガリー特命全権大使、 ナジ・アニタ参事官、 福田富一栃木県知事、 横田清泰益子副町長、 ほか勢の皆さまにご参列を頂きました、 この場を借りて心より御礼申し上げます。その席で最後に私からお伝えした言葉をここに記載し、 年報ご挨拶に代えさせて頂きます。
本日は、 師走、 コロナ禍の中、 このように大勢の皆さまに「和久奈ちよお別れの会」 にお運び頂き、 主催者を代表して心から御礼申し上げます。 また、 ご供花、 ご香典、 弔電等のお心遣いにも重ねて御礼申し上げます。 宇都宮東武ホテルグランデ・スタッフの皆さまには、 栃木県のコロナ対応ガイドラインに則っての会場設営に感謝申し上げます。
和久奈ちよの人生、一言で申し上げれば「 波瀾万丈の人生」 と言えるのでしょうか。 私自身の幼い頃のちよのイメージは、 両親の愛情をたっぷり受けた本当に優しい笑顔の叔母でした。その後の結婚と10 年での別れ、それ以降は先ほどの映像でちよ自身が語っていた通りです。 50 年近く前の私の結婚式には益子町に移住して間もない二人が出席してくれました。
益子町でのナンドールとの創作活動は、 ちよにとっても生活そのものであり、特に1997 年ナンドールの没後から作品の広報、 再評価の活動は目を見張るものがありました。
16 年前から東京の聖路加レジデンスと益子の二拠点居住生活、 2 年半前に聖路加病院の心療内科で初期の認知症診断を受けて以来、 大橋サービスの須田山ツギ子さんに24 時間付き添って頂く暮らしが始まりました。
今年2 月に、ちよが部屋で腰を打って病院で受診し、念のために幾つかの検査をしたところ、 すい臓頭部にがんが見つかりましたが、 その後も毎日変わらぬ日常生活を送っていました。8 月に痛みが続き聖路加病院緩和ケア病棟に入院し、積極的治療は行わないという強い意志を貫き、入院79 日目となる10月29 日朝、本当に眠るように穏やかに静かに息を引き取りました。
この間、 聖路加レジデンスのスタッフの皆さま、 聖路加国際病院心療内科の太田先生、 緩和ケア病床の林先生、長先生ほか病棟看護師の皆さま、 当財団堅田憲弘さんには大変お世話になりました、 この場を借りて心より御礼申し上げます。 そして、 何といってもちよの人生の最期まで本当に献身的に寄り添って頂いた須田山ツギ子さん、ありがとうございました。
今後は、財団関係者は気持を新たに、ワグナー・ナンドールとちよの平和を 願う思いを受け継ぎ、さらに地元栃木県の皆さまはもちろん、全国、世界に 、 二人の思いを拡げていくことを皆さまにお誓い申し上げて、私の御礼の言葉と 致します、本日のご臨席、誠にありがとうございました。
ちよ亡き後の財団運営については、財団関係者が議論を重ねて、基盤となる基本財産の充実を最優先に、「邸宅美術館」としてワグナーナンドール・ちよ夫 妻の理念を羅針盤に、その哲学を発信するユニークな空間を目指して参ります。 これからも引き続きのご支援をお願い申し上げます。。
令和3年12月25日
公益財団法人ワグナー・ナンドール記念財団
理事長 秋山 孝二